チュルーウエスト峰(6419m)とアンナプルナ周遊トレッキング

(砂漠の崑崙からモンスーンのヒマラヤへ)

安田隆彦

序文

  2004年に始まったAACK会員による西部崑崙山脈の未踏峰登山の4峰目として6851m峰を目指す隊が20089月に結成され、10カ月にわたって準備が進められていた。しかし200976日に発生したウルムチ暴動の影響で当該地域への入山は不可能になった。急遽モンスーン時期でも登山のできるヒマラヤに転進しようと検討の結果Chulu Westが選ばれた。同峰はアンナプルナ周遊レッキングの途中から入る山で、ネパール登山協会のトレッキングピークの一つに指定されている。あまり例のないモンスーン期のトレッキングと登山の様子を紹介するものである。

当初目標

  20078月 安仁屋崑崙隊5名は西部崑崙山脈にある6468m峰、6232m峰の初登頂を成功させた。この活動途中、鋭いピラミッド型の美しい山を遠望し(写真1)、次の目標にふさわしいものと考えた。その後調査の結果、ソ連製地図によると6851m峰と断定されたが、これは同山脈の未踏峰の中では一番高い山になる。20089月、この山を登頂する目的で 安仁屋政武隊長(64歳)以下 芝田正樹副隊長(62)、遠藤州(56)、出雲路敬明(62)、安田隆彦(70) の5人のメンバーがそろった。 準備の一環とて11月、12月、2月、4月に雪山を登り、5月に富士山で高度順応訓練と雪氷斜面登高の訓練を行った。 

計画概要

  6851m峰は2007年隊が登頂した6467m峰の北西60kmに位置する(図1)グーグルアースによる写真が当該地域は比較的鮮明に見られるので専ら写真による検討が重ねられた結果、726日から823日まで28日間の計画が確定した。AACKの海外登山・探検助成制度助成金に応募するため、登山計画書を送りチェックを受けた。その過程で京都在住の経験者たちから高度順応の期間が短すぎる、一日の行程800mの上り下り)が長すぎるので高所キャンプを増やすよう、助言を受けた。これは京都の伝統的な今まで取られて成功してきた極地法に基づいている。しかし、我々は今回、2007年の崑崙隊の経験に基づいて計画を立てた。その中で、軽量で行動するために最近主流となりつつあるラッシュタクティクスを取り入れようとしていたので、高度順応の日程を延ばすだけで、キャンプの増設はしないことに決めた。現地エージェントは過去2回使用して大過のなかったカシュガルのMr. Keyoum Mohammad を引き続き使用することにした。

図1 写真1 6851m

転進その1

  食料の買い出しを除くすべての準備が整った200972日、突然現地エージェントから当該地域は立ち入り禁止になった、代わりにK2方面の未踏峰Tu Feng 6230mではどうかとの申し入れが来た。急遽グーグルアースで調べた結果、山の難易度、必要な登攀日数共、ぼ々 当初目標の山と同じと判断された。変更を承認するメールを入れようと相談していた矢先の76日、ウルムチで大規模な暴動が発生したとのニュースが飛び込んできた。事態を見守る中、現地への電話もメールもカットされ、エージェントとの連絡が全くできなくなった。外務省掲示板で当該地域は渡航自粛の表記に変更された。これにより崑崙行きは今回断念することを決定した。

転進その2

  せっかく一ヶ月近い休暇を皆に認められたあと、準備も万端整っているのでこの体制で行けるヒマラヤを目指そうと対象の検討を始める。すぐにChulu Westが候補に上がった。ネット上では登山最適期が7月から10月になっており高度は6419mある。この山のグーグルアースはやや不鮮明ではあるが頂上までのルートもたどれ、難易度はほぼ崑崙で目標にしたものと同じ程度で装備類に不安はない。数社から見積もりを取り、よさそうなSony Travelsと最終合意できたのが出発わずか2日前であった。1週間程度のメールでの詰めでは細部に遺漏が出ることは覚悟しなければならない。ネパール通のAACK会員からはモンスーン時期にヒマラヤ登山など聞いたことがないと言われた。しかし初めて使用する現地エージェントの、モンスーンだから雨が降らないとは言わないが、チュルーウエスト登山には適した時期、との言葉を信じて出発した。同峰はアンナプルナを周遊するトレッキングルートの途中 レダーから東の山域にあるGungang Himal 4峰の中の3番目に高い山である。この山は33のネパールトレッキングピークの一つで入山料も安く(5名で390ドル)許可は申請当日に取れる。崑崙の時の出発日、帰国日と同一にして28日間でぴったり予定が収まった。食糧、装備はすべてエージェントが用意することになったが、念のため高所食の一部は日本から持参した。医薬品は斎藤惇生先生に依頼して準備した。

 

トレッキング記録(図2

2009726日 成田 16:55発 TG677 バンコック着21:25 空港ホテル泊

727日 バンコック10:35TG319 カトマンズ着 12:45 マルシャンディホテル泊

  エージェントと契約後ホテル周辺にたくさんある登山用品店で不足品の補充をした。

728日 曇り時々晴れ 21℃ カトマンズ 11:50 ベシサハル(700m18:50

  総ての荷物、人を一台のバスに乗せ、喧騒のカトマンズを後にする。5人の隊員をサポートする現地側はトレッキングガイドを元締めに登山ガイドとその補助、コックとその補助、ポーターが9人の総勢14人。電気のない薄汚いアンナプルナホテル泊

図2
 

729日 曇り一時雨 24℃ ベシサハル 8:30  バフンダンダ(1500m)16:30 スーパービューロッジ 泊

  アンナプルナトレッキングの開始、マルシャンディ川沿いに歩き始める。濁流の川の水量がものすごく多く、この沢がなくなるまで歩くのかとたじろぐほど。街道沿いには休憩所が所々あるがどこからも客引きの声が掛からない。汚い恰好をした子供たちも誰一人マネー、キャンディーと言って近寄ってくるものがいない。聞けば村の長たちが話し合ってそのような行為をしないよう申し合わせているとか。途上国を歩く時、いつも嫌な思いをすることがなく心が緩む。昼食後1時間ほど初めての雨になり、用意万端整えてきた雨具一式をつけて軽快に歩く。外からの雨は完全に防げたが、内からの汗に閉口した。高台のロッジから見るマルシャンディ渓谷の眺めが素晴らしい。

730日 曇り 21℃ バフンダンダ 7:45 チャムジェ(1500m13:45 レインボーロッジ 泊

  段々畑の田植えが美しい谷から少しずつ斜面の急な山間になり、落差も水量も十分の立派な滝がいくつも出てくる。川筋にはマリファナの自生地が多く見られる。

731日 曇り 20℃ チャムジェ 7:45 ダラパニ(2100m15:10 ティベタンホテル 泊

  閑散期のこの時期、昼食の用意を予めしているレストランはない。そのため注文を受けてから食材の手配をするので食事が出てくるまで1時間以上はゆうにかかる。欧米人はゆったりと待つことを楽しんでいるようで、我々のように遅いサービスにイラつくことはない。ヤギ一頭、鶏一羽つぶして待っていてもそれを消化するだけの客が来ない。電気がないので冷蔵庫も役に立たず、ほとんどの宿が肉気のまったくない菜食主義の食事。しかも味はいただけない。欧米人はベジタリアンと言うだけで味に関係なく喜んでいるとか。

81日 曇り 19℃ ダラパニ 7:45 チャメ(2665m)14:15 シャングリラ

  夕日に映えるマナスルの雄姿を遠望し、アンナプルナII峰7937m垣間見た。ホテルの横は1300mの巨大岩壁。その他にも造山活動の諸現象が顕著に見られるところが多数あり、それらの形成過程を説明する安仁屋隊長の専門的解説がトレッキング中の大きな魅力であった。また岩に興味のある遠藤隊員は触ったりたたいたり、岩の記録をとるのに忙しかった。

82日 曇り時々晴れ 12℃ チャメ 7:40 ローヤーピサン(3200m12:45 マヤホテル 泊

  スワルガワリ橋のそば、高さ1,500m3kmのツルツルの岩壁が川底から雲の中まで凹面状に立ち上がっている様は一番印象に残った岩壁である(写真2)。アンナプルナ山塊のレインシャドーに入ったのか、晴れ間が多くなり、空気も乾燥してくる。

写真2 大岩壁 写真 夕日のマナスル
 

83日 晴れ時々曇り 14℃ ローヤーピサン 7:50  マナン(3540m12:50  ティリチョウホテル 泊

  アンナプルナIII峰7555m、ガンガプルナ峰7454mを愛でながら平坦なルートを歩く。ネパールにある3つの山岳学校の一つの近くを通る。ひとクラス40人が3カ月の訓練を受ける全寮制学校、外国人の場合費用は2,200ドル。

84日 晴れ一時曇り 14℃ マナン 休日(写真4

  6日間歩いた後の休日。これまでは滞在ロッジの定食だったが、初めて同行のコックが持参の炊事道具と食材で調理を始める。スープを一口飲んだだけで全員がうまいと感ずる腕前で、これ以降はぐっと食事がおいしくなった。肉不足なのでヤギ一頭75ドルで購入した。マナン村は最奥の村で40戸ほど、石作りのしっかりした町並みが出来ている。村の電気が供給停止でどのホテルにも電気がないので、太陽電池使用のカメラ充電ショップが旅行者の救いとなっていた。

85日 晴れ一時曇り 13℃ マナン 8:00 レダー(4200m13:40 スノーランドホテル横に幕営

  ギャンチャン谷から初めてチュルーウエスト、チュルーセントラル峰の雄姿が見え奮い立つ。西面の岩壁は1000m余り切れ落ちている。エージェント提供のスイス、スピード社製二人用テントの使用開始。荷物スペースが大きく、日本製のものよりひと回り大きい。

 

チュルーウエスト登攀記録(図3

86日(木)小雨のち曇り 11℃ 8:00 レダー 発 11:00 ベースキャンプ着(4930m13:10 ベースキャンプ発 14:25 レダー着

  いよいよトレッキングルートを離れて登山開始、ホテルすぐ東の尾根を登り始める。尾根の上は高山植物が一面に花を咲かせ、気にしながらも美しい花を踏んづけながら登攀(写真5, 6)。真夏のモンスーン期は高山植物にとっても恵みの時、花に興味のある出雲路隊員は写真を撮るのにしばしば歩を止めた。BCテント地は幅100m長さ500mほどの平らな牧草地。中を小川がわずかにうねりながら流れる桃源郷の様な所。シェルパのサンデスとアシスタントのクルライはBCで宿泊し、明日上部ロックバンドのフィックス張りをする。ポーターたちは半分ほどの荷持をBCまで上げた。

写真4 マナン村、ソバ畑、氷河湖
写真 ベンケイソウ 写真 ブルーポピー

87日(金)曇りのち雨 10℃ レダー発 7.25  BC着 11.054930m

同じ尾根を昨日よりもチュルー峰寄りを登ると チュルーウエストの西面大岩壁、その下の氷河とモレーンが真近に見られる。大岸壁の下の氷河だからモレーンの量が膨大でほとんど白いところがない。壮大なチュルー峰を存分に楽しむ。BC到着後 午後休養。

88日(土)晴れ 4℃ BC発 7.40  9.15 コル 10.40 ロックバンド到着 11:50 ロックバンド通過 12:15 ハイキャンプ(HC)テント地着(5530m13:55 HCテント地発 15:40 BC

久しぶりに青空が大きく広がる。目標の頂きを始め アンナプルナIII、ガンガプルナが美しい(写真9,10)。ロックバンドにはフィックスが2箇所設置された。いずれも2級程度の岩場だが、安全のためユマールを使う。HC予定地はサンデスの過去4回登攀した10月に比べて30mあまり雪が落ち込んでいる。雪原のクレバスも多い。しかし西面断崖の上ぎりぎりのところは岩の尾根が続いており、そこをたどって上り下りしながら進み、雪原が安定した5600mあたりから雪面に出ればピークまでのルートはそれほどむつかしくない。しかし時折顔を出すピークまでの高度差1000mの登攀は非常に長く見える。朝3時に出発して登り10時間、下り5時間 合計15時間で夕刻6時にはテント地に戻れる計算。安田の足はその2割は余分に掛かるので18時間。疲れた闇夜の帰還は危険と考えアタックには参加しないこととする。帰りのロックバンド、下のフィックスの所はアップザイレンで下降(写真11,12)。ヒマラヤで最初の懸垂下降に、切れ落ちた谷底を眺めながら気分爽快であった。

写真 チュルーウエスト峰 写真10 右 ガンガプルナ 7454m、左 アンナプルナIII 7555m
写真11 出雲路下降 写真12 上部ロックバンド

以下アッタク2日間の記録は遠藤州隊員によるもの。

89日(日)小雨のち曇り 6℃ BC → HC(5560m)

6:00  起床 

8:15  雨が弱まり、霧雨になったところで、BC発。

9:25  コル着。

10:25  フィックスの下。

11:25 全員がロックバンドを抜ける。荷物は15kg程度のはずだが、ザックの重さがこたえる。

12:10 当初のHC予定地着。雨は止んだが、ガスがかかり、時々左の氷河が見える程度。ここから尾根沿いに進み、一度鞍部に下ってから、岩場を登り小さなピークを越えたところでHCを設営することにする。

13:20  着。ポーターたちはピッケルをツルハシのように使い、厚さ20cmほどの石英脈もうまいこと崩しながら、瞬く間にテント3張分と炊事用スペースを整地し、HC設営してしまった。GPSによる標高は5560m

18:00  夕食。水は10m下の氷河の窪みからとり、ポーターが沸かしたお湯で、チキンラーメンを作って食べた。少し頭痛がするが、食欲はある。

19:20  柴苓湯を1包飲み、就寝。霧雨。夜半、時々雨が強くなり、途中からぱらぱらというアラレの音に変わった。

810 雪後雨後曇り 2℃ HCBC→レダー

前日に決めた3:00に起床。雪、1cmぐらい積もっている(写真13,14)。

6:20  降雪が続き、積雪が3cmになった。氷河対岸の尾根が見えるが、上部は視界が効かない。ポーターが沸かしたお湯でグラノーラ、ポタージュスープの朝食を食べる。

7:40  降雪が続き、撤収を決める。新雪が積もった氷河は非常に危険で、降雪により氷河の通過が厳しくなったこと、サンデスの経験でこのような降雪が1週間も続いたこともあるとのことから、ポーターが歩ける内に撤収した方が良いとの判断による。また、ロックバンドを通過して荷上げできるポーターが2名だけで、HCの食料、燃料が限られていたことも、理由の一つである。

8:05  HC撤収して出発。積雪は4cmになった。標高5400mで積雪が無くなる。ロックバンドを懸垂で降りる。

9:35  全員がロックバンドを通過。サンデスとクルライがフィックスを回収。

9:55  コル着。コルからはガレ場を砂走りのように下る。

10:10  BC着。BC到着後、雨が激しくなる。

11:45  BC発。12時を回ってから雨がようやく止む。

12:50 レダー着 濡れたものを乾かす。

写真13 テント地 撤収の朝 写真14 左から 遠藤、出雲路、芝田、安仁屋

 

アンナプルナ後半トレッキング記録

  当初はジョムソンから飛行機でカトマンズまで帰るつもりであったが、日数に余裕が出来たのでアンナプルナトレッキングルートの西半分も歩き、一周トレッキングすることになった。

811日 曇りのち晴れ 8℃ レダー 7:20 ハイキャンプホテル(4900m) 13:10

  トレッキングの再開、ポーターたちの荷は一人約40kg。我々より小柄でやせた体でゴムゾーリを履いただけ、石ころだらけや岩の道を頭から担いで歩き続ける、感嘆と感謝の気持ちで一杯。大規模な地滑り発生地帯を通過、谷底に馬の転げ落ちた姿を目撃する。ルート中最高点に一つだけある宿は定員250人、シーズン中は床にごろ寝の人で埋まるとか。

812日 晴れ 2℃ ハイキャンプホテル 5:20  トロン峠(5416m) 8:00  ムクティナート(3760m13:00 シュリームクティナートロッジ横幕営 

  峠越えのため早立ち、朝日に輝くチュルー 峰を眺めながらアッタク日の天気の悪さを嘆く(写真15)。峠を越えると途端に乾燥地帯になり緑が消える。ムクティナートではヒンズー教とチベット仏教仲良く両方の聖地となっているサンバゴンパに礼拝。

写真15 チュルーウエスト峰の前で左から
安田、芝田、出雲路、安仁屋、遠藤、サンデス、クルライ
写真16 マルファの村

813日 晴れ 12℃ ムクティナート 7:30  マルファ(2670m ) 16:30 リタゲストハウス 泊

  ダウラギリ8172m峰の威容を遠望。少し回り道をしてカグベニの城壁都市(16世紀)を見る。アッパームスタング トレッキングルートの始点を示す大きな看板を見ながら、昔のムスタング王国に夢を馳せる。マルファは石畳の道、石作りの家の美しい村(写真16)。河口慧海が100年ほど前に滞在した家の前に記念碑がある。

814日 曇り一時雨 16℃ マルファ  8:10 カロパニ 15:00 エンジェルゲストハウス泊

  カリガンダキ川沿いは10時を過ぎると谷幅が広いにも関わらず風がものすごく強くなり、帽子を気にしながら歩く。ニルギリ 7061m の北壁が切れ落ちている。空気が湿ってきて樹林帯が見え始める。

815日 曇り時々雨 14℃ カロパニ 7:20 タトパニ(1100m) 15:25  オールドカマラ

  崖崩れが進行中の所を 上を見ながら小走りで抜ける。重荷のポーターまで走る。カリガンダキ川沿いはジープ用の道路が最奥のムクティナートまでついている。しかし雨季のためヅタヅタに寸断され、それが逆に作用して車の排気ガスでトレッキング気分が壊れる事はなかった。タトパニは河原に温泉があり、ゆっくりつかりながら飲むビールの味は格別。

816日 雨一時曇り 20℃ タトパニ 8:30 ポカラ(820m )  18:40   シルバーオークスイン

本格的な雨の日。年間雨量がムクティナートでは165mmしかないが、カリガンダキ川を下るにつれて湿っぽくなり、最終日は雨の中を歩かねばならなかった。4日間の歩きで砂漠状の乾燥地帯から雨ばかりの熱帯雨林まで歩くという貴重な経験をした。雨で道が壊れていてどこまでバスが入っているか分からない。最初は1時間半でバスに乗れるとの期待が、結果は13:35まで歩くはめになった。乗ったはいいが天井に満載の荷物、道路脇はすぐに断崖で渦巻く怒涛がすぐそば。車が大きく谷側に揺れるたび、心臓が止まりそうになり、歩けばよかったと悔やむ。山側に座った人は知らぬが仏ですぐに居眠り。ポカラの湖が見えたのは夕闇迫る頃、あわただしいビフテキの夕食とチップの授与式でトレッキングが終了した。

817日 曇り時々雨 24℃ ポカラ 散策

818日 雨 24℃ ポカラ 12:35 カトマンズ  13:10

819日 晴れ 21℃ カトマンズ 散策

820日 曇り一時雨 カトマンズ 散策

821日 カトマンズ 13:50 TG320 バンコック 18:25着  22:10発 TG640

822日 成田 06:20

 

高山病対策

  ベシサハル(700m)からレダー(4200m)まで8日間かけて歩いたので、高度順化の体調を整えるにはいい準備運動が出来た。さらに中島道郎医師の勧める登高泊低、テントに潜り込む前に少し高いところまで登ってから休むことを実行した。BC4900m)に入る前に一度レダーから往復して高度に慣らした。同様にHC5500m)に入る前にも一度往復して十分高度順化はした。高山病対策薬品としてダイアモックス、柴苓湯を用意したが、服用は隊員の自由に任された。SpO2、血圧、脈拍は毎日測定した。SpO2の測定結果は、高度1000mで平均すると95%であったものが3000m90%、4000m87%、5000m78%と高度に応じて数値が低下した。安仁屋、遠藤が高めの方、芝田、出雲路は低めの方だったが差はわずかであった。血圧は高血圧と指摘を受けている安仁屋、芝田は高度が上がるに連れて上昇。一方、日頃から血圧の安定している安田、遠藤は高度の影響はなく、出雲路は通常は低め安定であったが、高度上昇ともに血圧も上昇した。脈拍と高度の関連は顕著ではなかった。行動中の病状としては遠藤が旅の初めから風邪と下痢にかかったが、これは出発直前、仕事の激務から来た過労によるものと思われる。その風邪は安仁屋に移ったが軽微で済み、両名とも高山の影響はなかった。芝田、安田は高度から来る下痢にかかったが行動に支障がでることはなかった。むしろ芝田は終始一番元気溌剌であった。出雲路は富士山以上の高さは初めてにもかかわらず高度からの影響が皆無で、服用した高山病対策薬による副作用も全く感じなかった。今回の体験として高山病の症状、SpO2の数値、予防薬との何らかの相関関係はみいだせなかった。全隊員一律に当てはまる良い高山病対策はないように感じた。大野秀樹によればDNAによって高山病症状が決まってくるとの報告もあるが、むしろそれが当たっているかもしれないと感じた。

 

現地エージェント

  今回の契約はSony Travels 社だったが その下請けとしてすべてを取り仕切ったのがPilgrims Trekking 社. カトマンズに300社近くあるトレッキング会社の中堅。二人事務所の会社ながら1シーズン20組ほどのトレッキングガイドをしている。代表はGovinda、共同オーナーのPantaが今回チームの長として参加した。おかげで細かい変更に対して迅速に結論を出し、旅をスムースにしてくれた。日本人客を案内することは初めてで、今後顧客を広げたいとの思惑もあり、サービスは抜群であった。ネパールでの良いエージェントとして推薦できると全隊員が高い評価を下した。

 

モンスーン期のヒマラヤ登山

  崑崙行きが中止せざるを得なくなり、やむをえずモンスーン期の登山となった。このことに疑問の声も上がったので気象は特に気になった。まずはアンナプルナ一周トレッキングが1日の雨、1時間の雨以外は3日ほど一時霧雨程度で、残りは晴れないし曇り時々晴れで出来たことにほっとしている。たまたまアッタク日前後に悪天候で登頂出来なかった。モンスーンは3日から4日の周期で強くなったり弱くなったりするとの記述もあるが、登頂活動近辺でその強い周期が来たのかもしれない。新たな知識としてモンスーン期でも登山の可能な山があることを知った。ネパールの山脈図をみるとカンチェンジュンガからシシャパンマ、ガネッシュヒマールまではチベットとの国境にある。従ってこの地域でモンスーン期の登山はできない。しかしヒマラヤ山脈はマナスルあたりから国境を離れてネパール内に入り、アンナプルナ、ダウラギリまで来るとかなり国境から離れている。これら山脈の北側でモンスーンのレインシャドーになる地域では登山が出来る。山として7000m級はティリチョ(7134m)の一座だけだが、6000m級の山はツクチェ(6920m)を筆頭に十数座あり、チュルーウエストもその中の一つである。またトレッキングルートとしてはアッパームスタングに魅力的なルートが存在する。これら地域の東側の中心地マナンの年間降雨量は444mm、西側の中心地ジョムソンは201mmで降雨量の少ない乾燥地帯となっている。先進国の夏休み期間中が生憎モンスーンにあたるが、この期間中に行動できる山域があることは大きな利点である。また5月、10月を中心とするトレッキング最盛期には宿の確保も大きな問題点だが、モンスーン期はどこでも好きなところを選べる。ツインベッドルームに一人で楽々と泊まれるのも、登山道具一式大荷物持参中のトレッキングには大きなメリットになった。

 

後記

  ウルムチ暴動の影響で予期せぬヒマラヤの旅となった。崑崙とネパールを比較して違いを4点あげられる。ネパールの山は崑崙よりも山のスケールがひと回り大きい。逆に山までのアクセスはネパールの方がはるかに簡便である。費用は同じ期間の登山で崑崙の約55万円に対してネパールは飲み代まで含めても35万円と安くついた。大きな差は崑崙ではすべての荷物を自分で担ぐ学生時代風の登山になるが、ネパールではポーターを使うことが出来るのでラクチンである。ネパールには高齢者でも行ける魅力的なトレッキング、登山対象がたくさんあることに気がついた。中国の辺境政情が落ち着いたらまた6851m峰にも挑戦してみたい。節制して老体を鍛え、今後どれだけ歩き、登れるか楽しみが膨らんでいる。